ネパールに癒しを求める人々

ゆるいアジアというものは、どこか人の心をほっとさせるものがある。

夕暮れのバクタプル市街

夕暮れの町を歩けば、裸電球の暖かい光の下でのんびりと野菜を売っていたり(今はもう多くが蛍光灯やLEDになってしまったが、まだいくつかは残っている)明かりに照らされたその光の中で、笑顔でたわいもない会話をしながら店主と値段交渉をしている人々を見ると、どことなく安心する。

比較的寛容で人々の距離が近く、国によっては猥雑で衛生的でもないが、良い意味でいいかげんでズボラな人も多い。生活する上で、細かいところまできちんきちんとする必要性があまり無いからだ。

例えばトイレや洗面所や床のタイルなども、日本ではミリ単位できちんと綺麗に並べて施工するが、ネパールなどの途上国では、多少ずれて施工されていてもおかまいなしで、施工主にあまり文句を言う人もいない。そこそこ審美的で機能していれば問題が無いからだ。

それでも立派に社会が回っているということは素晴らしいことだと思う。途上国のそういった雰囲気やいい加減さを嫌う人もいるが、私のように大好きな人間もいる。

ネパールのような途上国では、先進国のように仕事や生活をする上で効率やスピード、完璧さや利益至上主義を求められることが比較的少なく、彼らの生活ぶりを見ていると「ああ、これでいいんだ」と肩の荷が下りる気がすることが多々ある。

だが、他の記事でも述べたように、インターネットの普及とグローバル化の急激な侵攻でゆるいネパールの社会も急激に変化しつつあるのが実情だ。

癒しの旅や傷心旅行・逃避行などという言葉があるように、旅をすることが何かしら心の癒しになるということは皆さんもご自分の経験でご存じだろう。失業や失恋、家族問題など様々な理由で生きる希望をなくし、自国以外の他国へ失意や傷心の果てに逃避してくる人は多い。

自国で生まれながらも自分の国に馴染めなかったり、心の病を癒す目的でネパールに来る人もいる。

あまり日本では報道されないが、海外サイトなどでは、時折外国人が自国以外の国で自殺した記事を目にする。最近だと北海道で中国人女性が悲しくも自死遺体となって発見されたのは記憶に新しいところだ。

去年の年末に、ガイドである私の親友が自宅に一人の中年ウクライナ人女性を連れて帰ってきた。表情は暗く、何かあるとすぐパニックになり泣いてしまうような人だった。

色々と話を聞いてみると、ネパールに死ににきたのだという。丁度ロシアとの混乱があった時期だったが、それが関係していたのかは分からない。

私も居候しているその親友宅でその日は一泊し、翌日の早朝に、スーツケース等の大きな荷物を置いたままで、単独エベレスト街道のトレッキング開始地点の町「ジリ」までバス行ってしまった。

ネパールでは、トレッキングをするには「トレッキングパーミット」と呼ばれる許可証を事前に申請して取得することが必要であり、確かそれは持っていなかったはずだ。

結局トレッキングパーミットを持っていなかったために、それ以上進むことが出来ずその翌日に彼女は無事に戻ってきたのだが、友人宅が分からなかったようで、私の携帯に近くのホテルのオーナーから「ウクライナ人女性があんたの携帯にかけてくれと言ってきたんだけど、今うちのホテルにいる、迎えに来てくれないか」と連絡があった。ウクライナよりもはるかに高いネパールの物価に驚いていた彼女は、自分の携帯電話を持っておらず、野宿をしたりと物凄く切り詰めた旅行をしている人だった。

もう夕刻も過ぎ暗くなっていたのだが、スクーターを飛ばして彼女を迎えに行き、親友宅に戻った。結局彼女はその翌日に再び大きな荷物を持ってネパールのどこかへと発ったのだが、今も元気にしている事を切に願う。