ネパールの少女とトラのお話
私がいつも居候する親友宅には、一人の少女がいる、名前は「リタ」。
食べ盛り、育ち盛りのリタちゃん、私の作るラーメンが大好物だ
私が彼女を呼ぶときは「りったちゃ~ん」と日本語で言うと「ハジュール!(は~い!)」と元気よく返事をしてくれる。数年前に、まだ6~7歳ぐらいだった頃、田舎から一人この家に来た。
猫が大好きで、私が飼っている猫の写真を見るのが何よりも楽しみな、とてもかわいい女の子だ。
初めて彼女に、私の猫の写真を見せた時には「アッハ~ン!ラムロビラロ!ラムロビラロ!アッハ~ン!!」と、大喜びしてくれた。
ちなみにネパール語で「(आहा・वाह)正確には「アーハーまたはヴァーハ」なのだが、日本人が聞くと「アッハ~ン」としか聞こえない(笑)」とは、日本語にもあるお色気の「アッハ~ン💛」ではなく、感嘆詞の「うっひゃ~」とか「うわ~」とかいう意味である。
ミャウー ミャウー ビラロ(日本語で「にゃ~ん にゃ~ん 猫」という意味だ)
「ラムロ」は「かわいい」とか「良い」と言う意味で「ビラロ」は「猫」であり、日本語に直訳すれば
「うわ~!かわいい猫!かわいい猫!!うわ~~~!!」という感じだろうか。
家の手伝いをするリタちゃん、畑仕事の手伝いをすることもよくある
彼女の実家へは直接は行ったことはないのだが、その実家から数キロ離れた場所にある彼女の親戚宅には、2度ほど訪れている。物凄く険しい山道で、途中までバスはあるのだがその道はもちろん舗装もされておらず、すぐ横は断崖絶壁で、何度も崖の方にバスが大きく傾きながら通行するというとんでもない道なのだ。
稲作も標高が高く寒冷な気温の為にあまり育たず、もっぱらトウモロコシとシコクビエが主な作物の貧しい山村に彼女の実家はある。
そんな山奥の村から来たリタちゃん、私の親友の母の親戚筋にあたるのだが、彼女の家はとても貧しく数年前に彼女の妹である生後数か月の赤ちゃんの調子が悪くなり、一番近い病院では治療費がまかなえず、公立病院のあるカトマンズまでバスで父親が搬送し、その知らせを受けて、私が両者をスクーターに乗せて病院まで行ったのだが、薬石効無く亡くなってしまった。
甥っ子の世話をするリタちゃん、ネパールの子供たちは年下の子供が大好きだ
リタちゃんは、カトマンズに来てから数年学校に通っているのだが、とてもこっちの学校が気に入っているようだ。なぜなら・・・・
「だって通学路に、トラが出ないから♪」
「えっ!!!(;´Д`)???」
「だっておうちの通学路にはトラが出るもん・・・・」
これが茶トラ猫ならリタちゃんも大喜びなのだが、正真正銘本物の「虎」なのだ。
幸い、子供が襲われたということは無いそうだが、リタちゃんも学校の行き帰りに見かけたことがあるという。だが、こちらに来てからはトラに出くわすこともなく、友人達とはしゃぎながら安心して学校に通っているリタちゃんを見るとほっこりする。
そんなリタちゃんの夢は、数年前まで航空機のパイロットになることだった。時折暇を見つけては、彼女を連れて空港近くまで一緒に飛行機を見に行ったものだ。
リタちゃんと動物園や遊園地に行くと、こっちまで楽しくなる
だが、最近はパイロットではなく、ネパール軍に入りたいという。
年端もいかない女の子が軍に入りたいと言うのは、日本人の感覚だととても驚かれるだろうが、平時から軍が身近にいる国では子供達からもそういった意見が聞かれることも多い。自衛隊と違いネパール軍には女性も多く、女性の警察官もネパールでは数多くいる。
だが、リタちゃんの場合は少し違っていて「パイロットになるにはお金がいっぱいかかるから」と言った。
「だって私の家は貧しいし、そんなお金無いし」と、図らずも一人のあどけない少女が夢を諦める瞬間を見た気がして、とても心苦しい思いをした。
実はリタちゃんがうちに来たのも、彼女の貧しい実家では、彼女を養う十分な収入が無いからである。比較的裕福な親戚宅や知り合いを頼って、自分の子供を預け、その子供が居候する家庭の家事や農作業を手伝う代わりに学校(とはいっても授業料の安い公立学校の場合が多い)に行かせてもらうという流れは、ネパールでは未だに普通の出来事なのだ。
リタちゃんのように親戚を頼ることが出来る山村の子供はまだ幸運なほうで、山岳地帯の険しい通学路ではがけ崩れもあり、危険な壊れかけの橋やロープに滑車がついただけのもので川を渡ったり、トラの脅威に怯えながら通学しなければならない。
私によく宿題の英語を教えてもらいに来るリタちゃん
リタちゃんを含め、とても気丈で健気なネパールの貧しい子供たち。 だが、彼らが嬉しそうに自分の夢を話す時、それを聞く私の心をさえも、わくわくさせてくれるのだ。
彼らの夢がかなう頃、ネパールはどんな国になっているのだろう。
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